2017年05月31日

自立支援1

ひきこもりの人の支援を含む生活困窮者自立支援法によって、全国各地の福祉事務所に相談窓口が設置され、生活困窮者就労訓練事業もスタートした。

行政の体制、組織も整備されつつあるが、それぞれの担当者に意見を聞くと、予想していたとおり、ひきこもり本人の相談者は少なく、芳しくない。そうだろう、ひきこもりなんだから、外に出れない、人に会えないから「ひきこもり」なのだ。


そこで、日本財団の助成で行われた、KHJ全国ひきこもり家族会連合会が行った「ひきこもり大学」全国キャラバン、当事者たちの声(元当事者も含む)報告書を精読してみた。


心理的、精神的、経済的に様々な悩みや困難を抱え、孤立し現実逃避せざるを得ず、親と自分自身 歳を重ね問題は潜在化していく姿が読み取れる。

たとえ、勇気を振りしぼり相談や受診しても、心情を理解してもらえず、「働かざる者喰うべからず」の論調が強い社会である。


子どもじゃないんだから働きなさいよ、

仕事選ばなければ何でもあるでしょ、

ハロワに行って仕事探してもらいなさいと言われ、実際にハロワに行っても、そんな状態では仕事がないと言われる。

最低賃金を稼ぎ出す能力や生産性がないのだから誰も雇わないでしょう。たとえ、就職しても続かないのでは…。

新卒以外、キャリアのない者が正規社員になることが、なかなか、出来ない時代、履歴に長い空白のある人は無理ではないかと言われることもあるという。


嫌な対応

ひきこもりの容認してくれとは言わないが、現状を否定され、「変えろ」と言われ、その周囲の圧力に苦しむ、それでも、嫌なことを上から目線で、説教・説得しようとする。

このままでは、恐怖心・不安感が走る、頭ごなしに否定することはやめて欲しい。


どのような支援を望むか?

何を言っても否定しない支援者、

共感的に理解してくれる人、親との確執に理解ある人

同じような問題で苦しむ仲間、話し相手との情報の共有等を望む


ひきこもり当事者達は、共感的に理解して欲しいと言うが、部屋にひきこもり、気に食わなければ、暴言を吐く、黙り込む歳月を重ねる。

歳を取り、体力も気力も弱って来た親が、家族の生活を守るため身を粉にして働く。思春期から壮年期の最も元気な時代の当事者らは、働かず、ほとんど家事もせず、自分の身の回りも世話もしないで、好きなことをやって何年も過ごす。


普通、これらの状況を共感的な理解を持ってくれと言っても難しいはなしである。

受容し共感し、その状態をよしとする偽カウンセラーなら、それで、商売になり、まして、公費から、そのお金がでるのなら何にも心を痛めないどころか、自分は良いことをやっているという思い込みの錯覚まで起こす。

しかし、共感的理解としての真の受容なしには、相互の信頼関係は形成できず、つぎなる指導に進むことはできない。


ひきこもりやひきこもり傾向の強い不登校の子らに対して、来談者中心のロジャース流では、カウンセリングは、来所して同じ土俵にクライエント(相談者)が上がらなければ始まらない、しかし、カウンセリングルームに来ないから相談しようがない。

これが、「生活困窮者自立支援窓口」であり、以前からあった「ひきこもり地域支援センター」であるが、窓口に来ないから効果をあげることなどできない。

ひきこもりの人の相談数が多いと、相談員の能力もあがってくるが、相談数が少ないと、試合数の少ないスポーツ選手と同じで能力は向上しない。


そこで始まったのが、アウトリーチだが、長期化し、高齢化したひきこもりの人の家に、専門家が、親の依頼で訪問しても、会ってくれないケースが非常に多い。

当事者は会うことに不安を感じ、人生を否定されるのではないかという思いが非常に強い。

これは、自分が今の自分の生き方(時間の使い方)を肯定できない心情から起こる。

会って、否定され、自分自身が自分のことをもっと嫌になり、崩壊するような気分になるからである。


専門家とは、医師、心理カウンセラー、教育の専門家、福祉の専門家をいう。みな、それなりに勉強して来た人であり、ひきこもりの人は自分を誇ることが、なにひとつないから必要以上に卑下してしまう。その反応を感じ、専門家は上から目線となり、治してあげる調になって拒否される。これでは上手く行かない。


そこで、3年前、厚生労働省社会福祉推進事業のひきこもりピア・サポート研修がはじまった。元ひきこもりの人や保護者達が研修し、研修に合格した者が、ひきこもり当事者でピアサポートを希望する家庭を訪問し、当事者目線でピア(仲間)になってもらう取り組みである。そして、できれば外出動行し、居場所などに繋ぐ事業である。


ピア・サポートは、受ける側にも、行く側にも評判がよかった。しかし、予算措置が3年間、今年度からは自力でやらなければならない。だが、先立つものがないと、なかなか出来ず、後退を余儀なくされざるを得ない。光明が見えてきたのに残念である。しかし、なんとか、違う財源で続けたいと模索している。


彼らの要望をすべて満たすことはできない、ということは、全面的な解決の方法がないということである。大昔からの社会命題「働かざる者喰うべからず」から「働かないで喰う方法」を探さなければならない。

心理学的、精神医学的、労働問題、家族問題からでは、この問題は解決出来ないが、経済問題から解決することは可能であることがわかった!

  つづく

                             昨年5月の講演レジュメより

posted by 牟田武生 at 14:34| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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